pickup

ZIMA 20th ANNIVERSARY COLUMN

1997年音楽カルチャーとこれから by 柴 那典

2017年は、音楽シーンにとって「変化」の年になる。そういう予感がある。

過去を振り返っても、それは明らかだ。67年のサマー・オブ・ラブ(※1)も、77年のロンドン・パンク(※2)もそう。音楽カルチャーの歴史的なターニングポイントは、実は「7」の年に登場している。日本においてもそうだ。日本の音楽カルチャーのターニングポイントは、97年にあった。20年経って、そのことがハッキリしつつある。

では「97年に起きたこと」とは何だったのか? 一言で言うなら、それは日本における「フェスカルチャー」の誕生だった。今では当たり前のように毎年開催される沢山のフェスやイベントが生まれ、定着していった。そのことによって、音楽カルチャーの位置づけ自体が、見える景色が鮮やかに変わっていった。

※1.サマー・オブ・ラブ:1967年にアメリカ合衆国サンフランシスコを中心に巻き起こった社会現象。
※2.ロンドン・パンク:イギリス・ロンドンを中心い起こったパンクロックムーブメント。

日本最大級の野外フェス<フジロック>、屋内レイヴ<WIRE>が初開催

<フジロック・フェスティバル(以下、フジロック)>は、その最も大きな成功例と言っていいだろう。97年に<フジロック>が始まったことが、日本におけるフェス文化の端緒になった。もちろんそれ以前にも沢山のフェスはあったのだが、野外で、複数ステージで、あれだけの解放感と共に音楽を楽しめる場所はなかなか無かった。あったとしても、それは継続的なものではなく「伝説」として語り継がれるようなイベントとして終わっていた。洋楽と邦楽をボーダレスに楽しめる場所としても、海外アーティストが憧れる「世界一クリーンなフェス」としても、<フジロック>が果たした役割は大きい。

@fujirock_jp

@fujirock_jp

97年には日本最大級の屋内レイヴ<WIRE>も初開催されている。その前年の96年には<RAINBOW 2000>もあった。バブル時代のディスコカルチャーではなく、アンダーグラウンドなクラブミュージックと接続した野外レイヴが、初めて1万人を超える規模で行われた伝説的なイベントだった。そして、そこに出演した石野卓球がオーガナイズしたのが<WIRE>。2013年まで毎年開催されてきた。特にドイツを筆頭とした海外のテクノやクラブミュージックのカルチャーと日本の同時代性が保たれてきたのは、彼の功績が大きいと思う。

次ページ: 日本初のMCバトル<B-BOY PARK>、夏の風物詩<横浜レゲエ祭>が初開催