DJ HASEBEによる「1997年から2017年までを築き、これからのシーンへと繋ぐ音楽プレイリスト」

その後の20年間を突き動かしてきた名曲たち。

――それ以降、HASEBEさんはDJ/楽曲プロデューサー/クリエイターとして第一線で活動し続けていくわけですが、「20年シーンを築いたという意味で象徴的な楽曲」についても、その楽曲とのかかわりや思い出を教えてください。

20年シーンを築いたという意味で象徴的な楽曲

Party Up / DMX

Touch The Sky / Kanye West

情熱 / UA

Heartbeat / Tahiti 80

You Are the Universe (DJ Hasebe Remix) feat. Ce Ce Peniston / Full Flava

Get Lucky / Daft Punk feat. Pharrell Williams & Nile Rodgers

まず、DMXの曲はスウィズ・ビーツ(※4)がプロデューサー。この頃流行っていたヒップホップの中でも90年代から続くヒップホップのパーティー感がストレートに出ていて、何年もピーク時にかけましたね。次のカニエはピッチを早くしたり、切り刻まずにバシッと使ったりと、サンプリングの使い方が新鮮でした。次の“情熱”は96年の曲。自分も日本語でブラック・ミュージックを表現することを考える中で、(楽曲を手掛けた)朝本さん(※5)の仕事は参考になったんですよ。Sugar Soulの“今すぐ欲しい”のような楽曲に混ぜてよくかけていましたね。僕らはこの後の世代で、そこに対するカウンターとして出てきましたけど、僕自身はすごく好きだったんですよね。

※4.スウィズ・ビーツ:NYを拠点とするヒップホップ系レーベル〈ラフ・ライダーズ〉専属プロデューサーであり、ラッパー。
※5.朝本さん:UAやTHE YELLOW MONKEYなどのプロデュース/作曲などで著名な音楽プロデューサーの朝本浩文氏。

――当時は様々な人々が、日本独自のブラック・ミュージックを考え始めていました。

当時の自分たちは無知でサンプラーとシーケンサーしか扱えなかったし、音楽的な知識もなかったと思います。でも、そうした限られた機材と知識の中でも、ヒップホップ的なトラックメイキングはできる。それが時代に受け入れられる自信はあったんだと思いますね。

――タヒチ80の“Heartbeat”にはどんな思い出が?

これは00年当時、セットによく混ぜていた曲ですね。ヒップホップやブレイクビーツが好きなことが感じられる音楽で、ヒップホップの現場でかけている人は自分以外にはいなかったけど、僕自身色々なものが好きな人間ということもあって感覚の近さを感じていました。

次の“You Are the Universe(DJ Hasebe Remix)feat. Ce Ce Peniston”は、ブラン・ニュー・ヘヴィーズのカヴァーをリミックスしたもの。オリジナルよりもよくかかった印象があるし、ここで自分のリミックスの形をひとつ確立できたと思います。自分の場合、90年代後半~00年代前半にやりたいことをやり尽くした感があったんですよ。それでこの頃は、「DJ HASEBE REMIX」と名がつくものがフロアを盛り上げる確率を100%に近づける作業をしていきました。ただ、そのあとEDMが盛り上がりはじめて、自分も多少プレイに混ぜていくんですけど、その後EDMを取り巻く状況を見て「自分はここから離れなければいけない」と思ったのも覚えています。もちろん、若い子はいいんですけどね。これは厳しい選択でしたけど、長い目で見たとき、今離れないと自分のキャリアは終わってしまうと思ったんですよ。時代の中で器用にこなすよりも、マイペースに自分の独特なキャラクターを確立させたかったんです。それもあって、2010年前後は現場も減りました。

でも、そのタイミングでニュー・ディスコ的なものが出てきて、自分もリエディットをやりはじめて。次の“Get Lucky”はダフト・パンクが70年代のブギーをやったことで、そのシーンをぐっと押し上げてくれた曲でもありますよね。何より、当時R&BシンガーでさえEDMを出さざるをえなかった状況の中で、この曲は他のアーティストが挑戦しやすい状況を作ってくれたと思います。そういう意味でも現在に繋がる曲ですよね。

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