実はパンク好きな共通点も!Masta Simon(Mighty Crown)とJ-REXXXが語るレゲエシーンの過去・現在・未来

様々なフェスやクラブの現場で音楽シーンをサポートしてきた「ZIMA」が、日本上陸20周年となる2017年に「Music Fighters」をコンセプトにしてシーンの先駆者とこれからを担うアーティストにスポットを当てる対談企画。第二弾のテーマは“レゲエ”です。

今回登場いただいたのは、95年に日本最大のレゲエ祭<横浜レゲエ祭>を立ち上げ、99年に<ワールドクラッシュ(※1)>で優勝して世界一の称号を手にするなど、文字通り日本のレゲエシーンを牽引してきたMighty Crownのリーダー、Masta Simonさんと、10年代以降、卓越した技術とジャンルを

横断する活動で新世代のレゲエDEE-JAYとして躍進を続けるJ-REXXXさん。横浜のレゲエをサポートしてきた「IRIE BAR」を舞台に行なわれた2人の対談を通して、日本のレゲエの20年間と、それを支えてきた人々の思いに迫ります。

※1.ワールドクラッシュ:サウンドクラッシュの世界的な大会

INTERVIEW:MASTA SIMON(MIGHTY CROWN) × J-REXXX

まだ見たことのない景色を求めて――。横浜レゲエ祭の原点。

20年前の97年というと、Masta SimonさんはすでにMighty Crownとして<横浜レゲエ祭(※2)>をはじめていて、99年に<ワールドクラッシュ>に初出場してレゲエのサウンドクラッシュで世界一になる数年前ですね。

Masta Simon:その頃はMighty Crownを結成して6年経っていて、周りのアーティストは90年代前半からみんな海外に行きはじめていましたね。95年には自分たちのサウンドシステムを作って、同じ年に<横浜レゲエ祭>をはじめて。97年というと四国と九州を回った<火と拳ツアー>の頃かな。

※2.95年横浜レゲエ祭:当初の名前は横浜Reggae Bash.

――その当時、どんなことを考えて活動していたか覚えていますか?

Masta Simon:もともと海外のレゲエにやられたこともあって、それを日本に広めたいという気持ちはありました。とにかくがむしゃらにやる、という感じだったのはよく覚えていますよ。

J-REXXX:その頃、Simonさんは何歳だったんですか?

Masta Simon:23~24歳ぐらいだね。

――20代前半という年齢で<横浜レゲエ祭>をはじめたのは、「日本でも場所を作らなければいけない」という使命感があったからなのでしょうか?

Masta Simon:仲間でパーティーできる場所を作りたかったんですよ。はじめた頃は規模が大きくなるとは思っていなかったし、「楽しい場所を作りたい」という、ただそれだけでした。でも、毎年終わったときに「また来年やらない?」という話になって、徐々に大阪からもアーティストを呼ぶようになって……。フライヤーも自分たちで作っていたので、95年に初めてカラーの一色刷りになっただけで喜んでいたし、それを自分たちで撒いて、チケットも手売りしていました。最初の2~3年は150人~300人ぐらいでしたね。98年に1000人のハコに移ったときは、それまで小箱でしかやったことのない人たちが、急に大勢の前でライブをすることになった。それは日本のレゲエアーティストにとっても観客にとっても初の経験でした。そこから次は、横浜ベイホールに移った。「ここでやったから、次はここに行こう」という空気感が、横浜の街中にあったんじゃないかな。ただ楽しいから続けていたものが、来てくれる観客との一体感の中で、徐々に「デカいところに行こうぜ」という空気になっていったんですよ。

――アーティストとファンが一緒になって「まだ見たことのない景色を見に行こう」、と。

Masta Simon:そう。本当は何も考えてないくせに「次は横浜スタジアムにいくぜ!」と突拍子もないことを言って、観客も「うおおお!!!」と盛り上がって(笑)。そこから野外に行くのに3年かかって、横浜スタジアムまでに6年かかりましたけど、実際に行けたときは久々に集まってくれた人も新しい人たちも沢山来てくれて……。ちょうど、日本も含めて世界的に海外のレゲエが流行っていた頃でした。ショーン・ポールやウェイン・ワンダー、エレファント・マン辺りの曲は、レゲエを聴かない人でも知ってるという状況が生まれていた。

J-REXXX:『Diwali Riddim』(02年)もそうですよね。僕は完全にディワリ世代ですよ。ヒップホップやレゲエのクラブですごく流行っていたので。

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